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ゆんたく☆ありんくりん。

喜怒哀楽、感じた事を感じたままに..

絶やさないで欲しい伝統工芸、琉球芭蕉紙。

今日は旦那さんの要望に応え、
首里にある手漉琉球紙工房へお邪魔してきました。
11時ごろ約束していたので、10時過ぎ出発。

歴史や工程、いろいろ貴重なお話をうかがってきた。

( マウスを画像に合わせるとポップアップし、マウスを外すかクリックすると画像が消えます。)
 okinawa  okinawa  okinawa
1枚目の写真【 左:芭蕉紙 】【 右:三椏紙 】

沖縄史に琉球紙が登場するのは1694年。大見武馮武(おおみたけひょうぶ)が、首里王府の命を受け、薩摩で杉原紙と百田紙(モモタガミ)の紙漉き技法を学び、城下の首里金城村で紙を漉いたといわれています。その後、4人の下級士族によって、沖縄の風土に適した芭蕉紙が作り出されました。 首里王府の発展に重要な役割を担った芭蕉紙。明治時代に一度途絶えてしまいましたが、重要無形技能保持者の安倍栄四郎氏が琉球紙再興をはかり、弟子の勝公彦氏が芭蕉紙を復興させました。 沖縄で生まれ、沖縄でのみ生きてきた独特の紙「芭蕉紙」。 首里儀保にある『手漉琉球紙工房 蕉紙菴』では、近くを流れる『宝口樋川』の豊富な水に支えられながら、現在も日々、貴重な芭蕉紙が作り続けられています。
首里あるき首里のわざ:[芭蕉紙] 手漉琉球紙工房 蕉紙菴

大学卒業後、食品会社の営業として働いていた安慶名(あげな)さん。特に沖縄の工芸のことは知らなかったが、手仕事をしたいと思って情報を集めていた。紅型をやりたいと思って訪問した工房はたまたま閉店。 新聞で、戦後に芭蕉紙を復興させた勝公彦さんの個展を偶然知り、1983年、29歳で弟子入りすることになる。手法や、道具の使い方などを教えてもらい、最初の3ヶ月はひたすら紙を漉く動作だけを練習。 次の3ヶ月は水を汲む「汲込」、さらに次の3ヶ月は漉き桁を縦横に揺らす「調子」…1つひとつの動作を丁寧に身につけた。 4年後に道半ばで亡くなった師の遺志を受け継ぎ、たゆまぬ努力を続けた安慶名さんが仕上げる1枚1枚の琉球紙が、均質な厚さながらもどこか植物の温もりを感じるのは必然に違いない。安慶名さんは教育現場などでも紙漉きを教えている。
手漉琉球紙工房 蕉紙菴【沖縄商談会】

湧き水の場所まで案内していただいた。

 okinawa  okinawa  okinawa

3枚目の写真
現在は生活排水も流れてくるので、ここの水は使えない、とのこと。

50年くらい前までは、この近辺に20〜30軒の工房があったのだそう。
現在、お弟子さんはいらっしゃらないとのこと。
途絶えてしまうのでしょうか?

話は飛びますが..
驚いたのは↓コチラ、黒電話!

 okinawa

それもまだ現役!!!!!
携帯電話は持っていないのだそう。
携帯電話からちゃんと繋がるし、黒電話からも携帯にちゃんと繋がる。
何十年ぶりかに見た。テンションが上がったよ。


その後、CONTE さんでランチ。

 cafe

冬瓜の冷製スープも、お料理全てが優しくてほっこりしたし、何だろう?
ワンプレートなのに、テーマパークのような味わいが詰まってる感じ..
わかんないですよね? ヒトクチ、ヒトクチが楽しかった。
タルトも美味しくて、テイクアウトしちゃいました。

そこで偶然にも!
那覇にある有名なイタリアンレストランのシェフにも会えるという、最高の時間。
みなさんの笑顔に、元気をいただきました。

帰宅して、ヒトイキ入れてから1人で仕込み。
午前2時半(9日) 終了。Tver 見て、4時過ぎ寝落ち。

                        いつも応援ありがとう。jumee��faceA204Ljumee��faceA204R
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[ 2023/08/08 23:00 ] 美ら島 沖縄 | TB(0) | CM(0)
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